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天御中主神社【南房総市和田町小川】

天御中主神社の拝殿

天御中主神社(あめのみなかぬし神社)

 
南房総市和田町小川の「天御中主神社」は、山の中に鎮座する神社です。
 

概要

【旧社格】旧小川村の村社
【祭神】
 ・天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
 ・国常立命(くにのとこたちのみこと)
【祭礼】10月の第2日曜日
北三原の祭礼小川区、下区、中区の合同祭
【御朱印】不明(神社にお問合せください)
【由緒沿革】(参考文献:和田町史 通史編 上巻)
安土桃山時代~江戸時代前期の慶長年間(1596年~1615年)里見氏の臣、上総国の勝浦城主である正木環斎が小川堀の内に居住の際、当地の鎮守として創建したといわれます。
 
祭神の天御中主神は昔から妙見尊星王として崇敬されていて、千葉県内にある下総の三妙見(千葉市の千葉神社/八日市場市の飯高神社/印西の妙見)と上総の三妙見(君津市の人見神社/袖ヶ浦市の横田神社/君津市の久留里神社)の六妙見は千葉氏の氏神の代表的なものとして知られており、千葉県下に天御中主神を祭神とする神社は104社あります。
 
小川の天御中主神社は、千葉氏の末流(丸氏の一族)とされる境井氏が、在地の豪族として農民とともに五穀の豊穣と鎮護の社として創建され、境井氏の乱の戦火によって荒廃しました。その後、その社殿を正木頼忠が勝浦を退去し三原に帰った慶長年間に修復したと考えられています。
 
昔から干ばつの際は祈願すると必ず功顕(くげん)があるとされ、病気にかかると住民は必ず祈願し、そのご利益は近郷の人々からも広く崇敬されたと伝わります。
 
大正五年(1916年)九月二十五日に会計規則適用指定幣帛(へいはく)共進神社に指定されています。
 


 

境内案内

 
この神社の存在はかなり前から知っていましたが、入口が分かりませんでした。北三原の祭礼の際に地元の方に聞いてみましたが、「山の中にあるというのは知っているけど行ったことはない」ということで一度あきらめました。
 
今回は念入りに探してやっと見つけました。入口は妙達寺の墓地の裏側です。右下の写真の細い道を上がって行きます。しばらく歩かないと鳥居などは見えません。
妙達寺の墓地天御中主神社

 

鳥居

 
長い参道には鳥居が2基あります。比較的新しいとものと思われますが年代は刻まれていません。形状は2基共に両部鳥居です。
一の鳥居二の鳥居

 

石段

 
鳥居を2つくぐると石段が見えてきます。
参道の石段
 
石段を上るとようやく拝殿が見えてきます。手前から手水石、常夜灯、狛犬、拝殿、本殿と並びます。
参道から見た拝殿
 
境内には破損した常夜灯と手水石が置かれています。どちらも古いもので年代は確認できません。
破損した常夜灯手水石

 

常夜灯(石灯籠)

 
拝殿手前の常夜灯は高さが2m以上ある大型のものです。現在年代は確認できませんが、和田町史に江戸時代後期の文化六年(1809年)とあります。
常夜灯(左)常夜灯(右)

 

狛犬

 
狛犬も常夜灯同様に立派なものですが、年代は読み取れません。施主は・・・左衛門や・・・右衛門が見られるので、明治時代以前のものと思われます。
 
常夜灯(左)常夜灯(右)

 

拝殿

 
拝殿前に二基の水甕があります。これは水の神、水波能売命(みづはのめのみこと)を祀る神社で多く見られます。
向拝に大きな彫り物はなく、本坪鈴(ほんつぼすず)があります。
 
拝殿
 

疱瘡神(ほうそうがみ)

 
現在は疱瘡(天然痘)に罹る人は少ないですが、当時は多くの人が疱瘡にかかりお参りしたと思われます。
桟俵(さんだわら)に赤い幣(ぬさ)と赤飯を乗せて供え、辻に送り出すと効験(こうけん)があるとされていました。
ほうそう神

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