諏訪神社(すわじんじゃ)
南房総市中三原の「諏訪神社」は、かつての中三原村の村社です。
諏訪神社概要
【旧社格】旧中三原村の村社
【祭神】
・建御名方命(たけみなかたのみこと)
大国主神(おおくにぬしのかみ)の子。諏訪大社の祭神
・八坂止賣命(やさかとめのみこと)
建御名方神(諏訪大明神)の妃神
【祭礼】不明
【御朱印】不明
【由緒沿革】(参考文献:和田町史 通史編 上巻)
鎌倉時代の貞応(じょうおう)年間(1222年~1224年)に当地三原城城主の真田源吾が創建したと伝わります。その後、安房国の里見氏が乱戦で損傷した社殿を永禄年間(1558年~1570年)に再興。また、安土桃山時代の慶長十九年(1614年)に村民によって再建されました。
真田氏が三原城を再建したのが安元、治承(1175年~1181年)頃とされており、その50年ほど後に諏訪神社を招致したと推測されております。また、境井の乱は大永(たいえい)、享禄(きょうろく)(1521年~1532年)のころであり、その40数年後に修築されたと見られています。
江戸時代前期の元和(げんな)四年(1618年)幕府代官の伊奈半重郎御検地の節字蟹田の八畝歩程を、諏訪明神へ祭免除されました。
江戸時代中期の宝永年間(1704年~1708年)、元文二年(1737年)九月祥日、延享三年(1746年)、安永十年(1781年)正月吉祥日、天明五年(1885年)四月吉祥日、文政五年(1822年)など、社屋造営、修復、寄進の棟札が残されています。
平成六年発行の和田町史に、現本殿、幣殿は昭和四年四月十九日に新築されたとありますが、その後は不明です。
境内案内
中三原の諏訪神社の存在は以前から知っていましたが、何しろ深い山の中にあります。千葉県道296号線と186号線に囲まれた地点にあり、296号線の方が近いこともあり何回も行ったり来たり、藪の中に入ったりしましたが、どうしても入口が分かりませんでした。
そこで、県道186号線の方からアプローチして近所の方に尋ねてみて、やっと入口を見つけました。
入口の石碑は186号線の森工務店(左下の写真)の近くです。ここから海側に50mほど進むと「村社諏訪神社」の石碑があります。(右下の写真)
鳥居がなく、石碑はとても小さいので神社があるとは気が付きませんでした。
186号線の石碑を右折し、80mほど進むと右側に細い坂道がある(左下の写真)ので右へ進むと鳥居が見えてきます。(右下の写真)
鳥居
参道入口の鳥居は古いようで年代は読み取れません。形状は明神鳥居、額束には「諏訪神社」と彫られています。
参道
鳥居の先から延々と参道が続きます。拝殿までは時間にして10分弱ですが、とても長く感じます。
鳥居の先の石段を上がると、下の写真のように切通しがあり神秘的な雰囲気です。
参道はずっと森に囲まれています。
紀元二千六百年の記念碑
数分歩くと参道左側に紀元二千六百年の記念碑が見えてきます。
紀元二千六百年記念とは、昭和十五年(1940年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったものです。
石灯籠(常夜灯)
石灯籠は2mほどの高さがあり、安房地方の山の中の神社としては大きい方です。年代は読み取れません。
和田町史によると「社前にある崩壊した石灯籠には文化十八年(1810年)と刻されています」とありますが、現在の石灯籠は修復したものなのか、新設したものなのかは不明。見かけでは江戸時代頃のものに思われます。
境内
石灯籠の先に「諏訪神社神饌田」があり、その先は一段高い境内があります。
境内は狛犬、手水石があり、一番奥に拝殿と本殿が鎮座します。
狛犬
狛犬は大きく力強さを感じます。年代は嘉永戌申涼月良日とあるので嘉永元年(1848年)です。
諏訪神社神饌田の碑
境内手前の「神饌田の碑」は昭和十八年(1943年)十二月廿二日 寄進戸田小一殿とあります。神饌田(しんせんでん)とは、神田、宮田、御供田とも呼ばれ神に供える米を作る田のこと。
手水石
奉納は狛犬と同じ嘉永元年(1848年)です。
社殿
手前が拝殿、奥が本殿。
向拝に大きな彫り物は見られまshん。額束は龍と波の彫刻が施されています。波の伊八の作品なのでしょうか?
「平述謹」書とあるのでネットで検索してみましたが検索できませんでした。