孝子塚(こうしづか)
館山市の安房地域医療センターの北側には、館山市指定史跡(昭和61年7月22日指定)である孝子塚が残されています。
孝子塚とは
(案内板より)
この孝子塚に祀られている伴直家主(とものめたいやかぬし)は「続日本後記」巻五の承和三年(836年)十二月七日の条にその徳行が記されている孝子である。
江戸時代天保十年(1839年)の頃宇戸(三芳村)に生まれた石工武田石翁は「家主」で事蹟をしらべ、その墓を探索してこの塚が孝子塚と推考し、嘉永三年(1850年)三月自らここに孝子「家主」の碑を刻み、その遺徳を顕彰した。さらに翌嘉永四年九月孝子に関係ある国分寺境内にも、同様の碑を建てて顕彰した。その後地元有識者の尽力で整備が進められ、大正三年(1919年)頃、現在のような形になったものである。
なお、篆額(てんがく)は、日野大納言資愛(すけたも)卿、碑文は平群の加藤霞石の筆になり、家主の像は菊池溶斎が描いている。
館山市教育委員会
昭和六十三年三月
手水石
孝子塚の全景
文字は刻まれていますが、苔が多く読み取るのが大変で断念しました。
裏側に文字は刻まれていません。