永野台古墳(ながのだいこふん)
南房総市指定史跡である永野台古墳は石堂寺の向いの高台にあります。
※参考文献:丸山町史
南房総市石堂のグロリア株式会社(元丸小学校跡地)の西側の「永野台」と呼ばれる台地は、西側に一段突き出した小舌状台地に位置し、北側と西側は崖面となっていて裾部を丸山川が流れています。
この永野台からは弥生時代の竪穴式住居が発掘され、周辺には多くの横穴墓が存在します。周辺では以前から埴輪片が出土し、大正十二年(1923年)一月には「鎌を持つ農夫像」が発見されました。この埴輪は戦災により焼失してしまいましたが、複製品は東京国立博物館に所蔵されています。
この地域は以前から本格的な発掘調査が待望されていましたが、昭和五十四年永野台の農道開削工事が実施され、工事着手時に円筒埴輪片が出土したことが契機となり学術的発掘調査が行われることとなりました。
調査は東洋大学の玉口時雄教授を団長に同大学の未来考古学研究科会員、地主の石井伊久雄氏、地元民の協力により昭和五十四年七月から昭和五十六年七月まで四次にわたり実施されました。
この調査により四世紀から五世紀のものと推定される古墳二基、人物埴輪、須恵器、土器、土壙(縦穴の墓)・碧玉製管玉、ガラス製小玉、および多数の円筒埴輪が出土しました。
埴輪二基のうち一基は全長25mほどの前方後円墳と推定されています。
埴輪はほぼ全国で出土しており、特に下総(千葉県北部方面)では形象埴輪が多数発掘されていますが、安房地方で埴輪が発掘されるのは珍しく、南房総市の「恩田原古墳」とこの「永野台古墳」の2例だけです。
出土品の画像については館山ミュージアムフィールド(丸山町永野台古墳)をご覧ください。
永野台古墳の案内板は410号線にあり、この看板を左折しします。初めに言っておきますが永野台古墳に行っても石碑があるだけで何もありません。また駐車場もありません。なのでよっぽど興味がある人でないとおすすめはしません。
この案内板を右折して150m位の場所に平らな広場があります。
ここが永野台古墳の入口です。
周囲に蘇鉄(そてつ)が植えられている広場が永野台古墳です。
広場の中央付近に石碑と説明の看板が建っています。
石碑の付近には永野台古墳についての説明板があります。
南房総市指定史跡 永野台古墳
昭和五十七年十二月二十八日指定
この古墳は農道開設計画段階で埴輪の破片が出土したことを契機として、大正十二年に人物埴輪出土記録もあることから、昭和五十四年七月より昭和五十六年七月まで、四次にわたり学術的発掘調査を実施した。
その結果少なくとも二基の古墳が存在することが認められた。一号墳(台地中央部)は全体の形状規模は確認されないが、遺物として、須恵器、円筒埴輪、女性埴輪頭部、腕部、土壙(埋葬施設)、碧玉製管玉、ガラス製小玉が出土し五世紀後期の古墳と推定される。
二号墳(台地先端部)は帆立貝式あるいは前方後円形で、全長25m程度、四世紀後後期から五世紀前期の古墳と推定される。埴輪の伴った古墳の発掘は安房地方では前例がなく、房総の古墳文化解明のためにも、その学問的意義は極めて大である。
昭和五十八年二月
南房総市
南房総市教育委員会