香指神社(鴨川市太海)
香指神社は、岡波太村(現太海)の旧村社で海を見渡す崖の上に鎮座します。
【祭神】弟橘媛(おとたちばなひめ)
【祭礼】7月第4土曜日
・浜地区(島津神社)御船(島津丸)
・岡(香指神社)神輿/屋台
【由緒】(参考文献:太海のあゆみ/鴨川市史)
昭和六十二年千葉県神社庁がまとめた「千葉県神社名鑑」にも香指神社について記載はありません。祭神の弟橘媛は神話に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃で東京湾一帯で広く信仰されています。
弟橘媛は日本武尊の東国征討に同行、三浦半島の走水から房総半島に渡ろうとした際、海神の怒りによって航行を妨げられヒメは自ら海中に身を投じて海神の怒りを鎮め、日本武尊の一行は無事上総に上陸し蝦夷(えみし)を平定しました。ヒメが身を投じた際のかんざしが浜に流れ着き、神社に祀られたとされ、香指という呼び名は「かんざし」が転じたものと伝えられています。
タケルは東国からの帰路碓氷峠(群馬県と長野県の県境)にさしかかる時「あづまはや(わが妻よ)」と亡き妻を偲び悲しみました。以来、東国は「吾妻(あづま)」と呼ばれるようになりました。
神社の棟札(むなふだ)によると文化十四年(1817年)五月に社殿を再建、願主総代は岡波太村(現太海)の名主「源左衛門」と浜波太村(現太海浜)の名主「善左衛門」が務めました。
同社の境内には縄文時代中期の遺物を包蔵する浅い洞窟があり「香指神社遺跡」と呼ばれていますが、詳しい学術調査は行われていないようです。
拝殿
拝殿と本殿は区別がなく一体となっています。
狛犬
年代や作者は読み取れませんが、安房の名工「武田石翁」の作とされています。
拝殿裏の浅い岩穴には、古い木製の社が鎮座しています。この岩穴が「香指神社遺跡」なのかどうかは確認できませんでした。
手水石
風化が進み文字は読み取り辛いのですが文政年間(1818年~1831年)奉納