八幡神社(はちまんじんじゃ)
平塚の上の内の鎮守で古い歴史をもつ神社です。祭礼は八月の第1土曜日に開催され、各地区の神輿が大山不動尊に集結します。また夜には各地区の屋台が旧大山小学校グランドに集結します。
【祭神】誉田別命(ほんだわけのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)
【祭礼】八月第1土曜日大山地区の祭礼(高蔵神社の祭礼)
【由緒】境内の案内板、大山のあゆみより
当社は鴨川市平塚字上の内一五三九-一に所在し創立は平安時代の治承四年(1180年)とされる。宝徳三年(1452年)社領を頂いた事から十四世紀の中頃に、宇佐八幡宮より御分霊を勧請し、文化二年(1805年)現在地に社殿を移築建立し、祭神に誉田別命(ほんだわけのみこと)玉依姫命(たまよりひめのみこと)の二神を祀り農、林産の守護神として崇敬の念が厚い。通称八幡様親しまれ、心の拠所として地域住民により護持されている。旧社殿は八十年余りの風雨に耐え老朽化が激しく平成十五年区民総意の下建替えを検討、平成十六年建設委員会を設置し平塚区民による建設資金の積立てを開始し長期に亘る区民のご協力により平成二十八年三月十二日めでたく竣工奉告祭が催行の運びと成る。この事業は物心両面に依るご協力の賜として後世に伝え継ぐものであります。
平成二十八年三月十二日
平塚八幡神社建設委員
上記のように文化二年(1805年)の勧請を伝えていますが、平塚山田家所蔵の「村誌用旧書写」には至徳元年(1384年)八月に長狭郡柴原子郷平塚村内の田地が、鎌倉公方(くぼう)の奉公人と思われる山名智兼(やまなちけん)の名によって八幡神社に寄進されたことが書き留められています。
平成二十九年は、参道の階段は工事中となっていました。
車を止めてから一の鳥居までは少し距離があります。
境内に鳥居は3つあります。下の画像は参道入り口にある一番大きな鳥居です。この鳥居は明神系の両部鳥居で広島の厳島神社と同じタイプです。
拝殿
向拝には龍と木鼻の彫刻がありますが、彫工者を調べるのを忘れてしまいました。
向拝には龍と木鼻の彫刻がありますが、彫工者を調べるのを忘れてしまいました。
本殿
拝殿右側
拝殿右側には小さな鳥居があり鳥居の奥には石宮が三基並んでいます。文字は読めませんが合祀した神社なのでしょうか。
本殿左奥の出口付近にも赤い鳥居があります。
手水舎
手水舎は新しいようです。社殿と一緒に再建されたのでしょうか。
手水舎の左にある案内碑(平成二十八年)