矢尻の井戸
館山市洲崎の「矢尻の井戸」は、治承四年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が伊豆から逃げて上陸したとされる地です。
上陸した頼朝は飲水がなく、地面に矢尻を突き刺したところ、そこから清水が湧き出たという伝説が残っています。
この伝説は「義経記」(注1)に書かれているようです。
一方、鎌倉時代の「吾妻鏡」では「平北郡猟島に着く」と記載されているようで、現在の鋸南町竜島に上陸したとされています。
注1 義経記とは、源義経を中心に著された作者不詳の軍記物語。南北朝時代から室町時代初期に成立したとされている。(ウィキペディアより)
矢尻の井戸は東屋の下にあります。
井戸の中を覗くとすぐ下に水が見えます。結構な高台にあるのに水源は浅いようです。
この場所には多くの記念碑や石碑があります。
「源は同じ流れぞ岩清水 せきあげてたべ雲の上まで」この句は頼朝が洲崎神社に参拝した際に詠んだ句とされています。
記念樹の碑 昭和戌午と彫られているので昭和53年です。
矢尻の井戸植樹記念の碑 昭和戌午 旅館組合西岬支部
滾々と湧く源頼朝矢尻の井戸水 館山商工会議所 会頭 佐々木一男
道路の反対側は館山湾が見渡せます。