
山宮神社(やまみやじんじゃ)
山宮神社概要
館山市東長田の「山宮神社」は、とても山奥にある神社です。創建は古く安房地方屈指の歴史のある神社です。
私は、今はら8年ほど前、この神社を撮影しようとして道が分かりづらく断念したことがあります。それほど山宮神社は場所がわかりづらく、複数のブログでもこのように紹介されています。
今日は「やわたんまち」が近づいてきたこともあり道を綿密に調べて、やっと見つけることができました。
なお、この神社は途中の道が狭く普通自動車では脱輪の恐れがあり、軽自動車かバイクがおすすめ。GoogleMapの案内でも途中で案内を止められてしまいます。
ざっくり説明するとコメリパワー館山店横の館山白浜線(千葉県道86号線)を白浜方面へ向かい、東長田を過ぎたあたりで左折して永田川を左に見ながら延々と細い道を進みます。
文章では説明が難しいので下の地図を参考にしてください。
しつこいようですが、軽自動車がやっと通れるほどの道幅なので普通車では無理です。
<千葉県道86号線からの道順>
【旧社格】村社(旧東長田村)
【祭神】
・大山津見命(山の神)
・事代主命(託宣の神)
【祭礼】
敬老の日(9月の第3月曜日)の直前の土曜、日曜
安房国司祭(通称:やわたんまち)
鶴谷八幡宮に周辺地区の屋台や神輿が集結する安房地方最大の祭り。
山宮神社の神輿は江戸時代後期の安政六年(1859年)製で初代後藤義光の彫刻が施されています。
【御朱印】なし
【由緒・沿革】(参考文献:館山市史)
飛鳥時代の朱鳥元年(868年)に中臣幸彦が摂津国(現大阪府)三島より当地へ移住し、三島鴨神社の祭神「大山津見命」を祀ったのが創建とされています。
奈良時代の養老二年(718年)に役人の「班田使」が当地へ赴き神田として七町八反歩の土地を寄進され、三島鴨神社の「事代主命」を合祀。
平安時代前期の貞観十二年(870年)藤原豊宗卿が幣帛えを奉納。
平安時代末期の治承四年(1180年)源頼朝が武運長久を祈願したと伝わります。
里見氏の時代に十石、徳川幕府からも同額を朱印知とされます。
江戸時代まで当神社は「山宮大明神」、「長田大明神」と称され明治元年(1868年)に「山宮神社」と改称されました。
境内案内
石段の右側に車が通れる道があり、境内に2~3台停められます。
参道
石段の上が参道となっていて、鳥居、常夜灯、狛犬があり、最後に拝殿と本殿が鎮座しています。
鳥居
鳥居の年代は読み取れません。形状は神明系の靖国鳥居。
手水石
年代は江戸時代後期の文化七年(1809年)。まだ「山宮大明神」、「長田大明神」と呼ばれていた頃のものです。
常夜灯
年代は読み取れませんが、形はしっかりとしています。


狛犬
昭和の文字だけ読み取れます。


石宮
境内左側の崖が削ってあり石宮が鎮座しています。
拝殿
年代は不明ですが破損は見当たりません。
扁額に長田大明神、山宮大明神とあるので、江戸時代以前のものです。
本殿
本殿には牡丹の花や波などの彫刻が施されています。
神輿殿
安房国司祭(やわたんまち)に出祭する神輿が納められています。
たてやま おらがんまっち豊房地区 長田によると神輿は安房国司祭の会場である「鶴谷八幡宮」までのすべての道程を担いでいくそうです。その距離は何と7kmほどあります。