萱野稲荷神社(かやのいなり神社)
館山市国分の『萱野稲荷神社』については館山市史、その他の書籍に記載が見当たらないため創建・由緒などは不明です。
(参考文献:館山市史)
国分の萱野は長尾藩の武家屋敷として開発された場所で、当神社は長尾藩藩主「本多正訥(まさもり)」の鎮守であったとされています。
萱野稲荷神社の周囲には三義民刑場跡【館山市指定史跡】、孝子塚【館山市指定史跡】があります。
慶応3年(1867年)10月14日
将軍徳川慶喜が大政奉還(慶応3年10月14日)により政治を天皇に返上し将軍職を辞したことで、徳川家達が駿河(現静岡県)に封じられ七十万石を与えられました。これにより当時駿河の田中城主であった「本多正訥(まさもり)」は慶応四年(1868年)7月に安房国への所替えを命ぜられ長尾藩が立藩しました。長尾藩は、明治元年(1868年)から明治四年(1871年)の廃藩置県までの4年間存続しました。藩庁は当初長尾の陣屋(現南房総市白浜町滝口)にあり、のちに北条陣屋(現館山市北条)に移転しました。
【祭神】宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
【祭礼】スポーツの日(10月の第2月曜)の前日
館山市国分諏訪神社の祭礼
【ご朱印】不明
【由緒・沿革】不明
鳥居は木製の明神鳥居。年代は不明です。
手水石は明治九年(1876年)旧藩士たちが奉納したものです。
風化が激しく年代は読み取れませんが、願主がわずかに読み取れます。
拝殿と本殿