押元才司(おしもとさいじ)の像
千倉漁港前に『押元才司』の像があったので調べてみました。像には『漁師水産商一同建立』とあります。
押元才司とは
(参考文献:千倉町史)
明治六年(1873年)~昭和二十四年(1949年)
生い立ち
明治六年十一月九日、押元吉次郎、さだの長男として生まれる。実家は村内一の漁業家でした。その頃銚子に「茶がま」と呼ばれる有名な漁業家がました。祖父はその漁業家をしのぐ者になりたいと努力を続け、遂に目標を達成。当時は「茶がま」の上に「土びん」を乗せる風習があり、いつの日にか屋号が「土びん」となりました。
父は木材業の傍ら米麦雑貨商、祖父は漁業家。才司は幼少の頃徳蔵院住職にあずけられて育ったことから、その影響も大きく漁業家に従事すると村民の信望を集め、大正七年に消防組長、同八年に町会議員、漁業組合長となりました。
<県会議員>
・大正十一年一月~昭和三年一月(六年)
・昭和七年一月~昭和十五年一月(八年)
大正十四年~昭和二十四年までの二十五年間千倉町議会議員、後議長となり町農業組合長も兼任。漁業では千倉港築港完成の主役をつとめました。消防団では、他町村に先がけてガソリンエンジンの消防車三台を導入しました。
昭和二十四年五月千倉町長に当選しましたが、同年六月二十八日急逝。(享年75歳)
像は千倉漁港前です。
像がある区画には千倉新漁港竣工記念碑、小さな神社があります。
千倉新漁港竣工記念碑
完全に読み取るには時間がかかりますが、昭和六年と昭和九年の千倉漁港の竣工記念碑です。
区画には大漁を祈願する小さな神社が鎮座しています。昭和十二年建立。