
不動院(フドウイン)
館山市北条の「不動院」は、真言宗智山派の寺院。館山駅東口から徒歩約13分、館山市役所と館山税務署の間に位置します。
【宗派】真言宗智山派(宝珠院末)
【名称】金剛山遍照蜜寺不動院
【本尊】地蔵菩薩
【霊場】安房国四十八ヶ所薬師如来 西口第十番
【寺宝】
・初代武志伊八信由の作とされる龍の彫刻
・六軒町出身の絵師「渡辺雲洋」の花鳥画
・川名楽山の「不動尊拝み絵馬」
【由緒・沿革】(参考文献:北条村史/館山市史)
室町時代初期には開基されており、金剛山遍照寺と称していた。安房里見氏初代、里見義実が相模の大山不動尊に参詣した際、道端の辻堂に安置されている良弁作の不動尊を船に移し、不動尊を本寺へ安置し、本堂の建立祈願をして帰城した。
その後里見氏は不動尊を守本尊として代々参詣していた。安土桃山時代の天正17年(1589年)里見義実は館山城普請の際、当寺八代頼祐上人に寺院建立を申し入れ、護摩堂を創建し不動尊を安置し、境内地を寄進。
この時に寺号を金剛山不動院護摩堂と称し多くの人々に信仰された。里見義康は永々造営のため十二石を寄進し寺領10石を寄進(略縁起)。
不動院は往古から北条村内の神明神社と蛭子神社の別当寺を務めており、村内にあった地蔵堂一字も不動院が支配している。
江戸時代後期の文政五年(1822年)に北条役所へ提出した文章(不動院蔵)に「神明神社は昔から不動院が別当職で、遷宮・棟札・幣帛等の諸神事を務めていた。百姓元助が宮守で掃除をし、野宿や行き倒れがないか見回っている」と記されている。
明治三年(1870年)長尾藩寺社属役所へ差し出した寺院調べ(不動院蔵)に「境内六百坪、除地反別二反四畝一歩、檀家五十軒」とある。同七年(1874年)法印孝林が不動堂を再建したので「不動様の信者はますます増え白浜や郡外からも、十月二十八日護摩法要の日を不動様の日といって大勢の信者が参詣し、門前に市が開かれ盛況であったが、大正大震災(関東大震災)で堂が倒壊してから参拝者が激減した」とある。この護摩法要は往古から行われ、天保年間(1830~1844)には安房国中に知られ有名であった。(安房国名所旧蹟雑記:馬毛山人著)
大正十二年(1923年)の関東大震災で堂宇倒壊し、昭和三年(1928年)九月仮本堂建設許可があり、着工し完成したが、護摩堂は再建されなかった。
同四十八年(1973年)十一月、庫裏ならびに客殿竣工、翌四十九年四月本堂上棟し竣工、平成二年(1990年)聖観音像が境内に建立された。
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