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瀧元房保先生之碑【南房総市白浜町】

根本小学校跡地の石碑

南房総市白浜町の「根本小学校」跡地に3基の石碑があったので撮影しました。
左から「瀧元房保先生之碑」「孝子林勘三郎之碑」で一番右は写真が不鮮明で読み取れませんでした。
 

根本小学校(参考:Wikipedia)

 
明治七年(1874年)根本村に根本小学校、滝口村に滝口小学校が設立され、1971年に根本小学校と滝口小学校が合併し白浜町立長尾小学校を設立。南房総市発足後の2011年3月に市立長尾小学校は廃校となりました。
現在長尾小学校校舎はリノベーションされ、宿泊、レストラン、レンタルオフィスなどの複合施設 シラハマ校舎として生まれ変わりました。
 

瀧元房保先生

 
※瀧元房保先生については書籍などが見当たらないため、案内板をそのまま掲載します。
 
「銘文」
慶義館の設立年月は詳ではないが、元江戸湊町の藩邸に在り、幕末期に養父稲葉正巳により在邸藩士の子弟を教授して居ったが、明治二年二月老中格を辞して名を江隠と号して隠居生活へ入る。稲葉正善、養父同姓正巳学辞のことにすべからざるを覚り、明治二年四月、江戸藩邸内の藩校を所領根本村に移し、奮って校舎を新築して敬義塾と称した。
 
旧幕府の儒官佐野義郎を聘して督学(校長)となし、佐藤一斎の孫、佐藤新九郎及び白川藩の学者宮崎直蔵等を召し、また藩士桂猪之助に命じて共に学を講ぜしめ、後に新井丈山を士籍に列し、督学となして学事の拡張を計り、藩士は勿論領内の一般民衆にも入学が許可されていた。慶義塾は大正十二年九月の震災で倒壊することなく根本小学校の裁縫室として使用されていた。
 
瀧元房保先生之碑
 

廃藩後の経歴

 
明治二年六月二十四日 :館山藩知事を命ぜられる
             陣屋を藩庁として藩制を改革する
明治四年七月十四日  :廃藩置県により館山縣知事に命ぜられる
明治四年十一月十四日 :木更津縣の管轄となり本官を命ぜられる
明治七年六月十五日  :根本小学校の授業生輔助教勤務
             根本小学校創設時の初代の先生となる
明治二十三年九月   :小学校辞職
明治四十四年一月三日 :享年五十九歳
 
関東大震災で三嶋神社が倒壊したため現在の場所に村の人達の寄付により昭和四年に新築された。顕彰碑もその時の子弟有志によって設立された。
 
丈撰、書
平成二十三年六月 旧館山藩子孫有志
 

孝子林勘三郎

 
真ん中の碑の「孝子林勘三郎」大正元年十二月 については書籍、インターネットに見当たらず調査中です。
 
孝子林勘三郎之碑
 
一番右の石碑については写真が不鮮明で読み取れませんでした。
 
之碑
 


 

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